娘です

28日の通院日に、年末年始の心配もあって、急遽入院することに。
というのも、仕事がある理由からずっと病院のほうへは
父と母が行っていたのですが、やはり病院との付き合い方が
苦手なのか、伝えたいことの半分も伝えられなくって、
不安になって帰ってくることの繰り返しだったので、
年末ということもあって、仕事を休んで、先生のところに付き添いました。
そして、本人が席を外した時に話をしっかり聞くことに。

父と母の先生の不満は「いそがしそうでゆっくり話を聞いてもらえない」と。
でも、患者のほうが聞きたいことをメモにでもまとめて聞くと、
すごく誠実に答えてくれる。

病人は病院との付き合い方とかを真剣に考えなくちゃ
いけないんだなと痛感した出来事でした。

そして、まずは低栄養で身動きが自分でとれなくなることを相談。

すると、通いの先生からは高栄養を勧められたのですが、
医大の先生は、高栄養を与えることで、今少し抑えられている
がん細胞が一緒に元気になってしまって、進行が進む可能性が
強いということ。


なるほどー・・・そういう理由だったのね。
納得。


でも、本人の決断としては、
今の状態から少しでも元気になれれば、
その間に楽しく過ごしたいと。
細く短くより、太く長くを希望。


その旨を伝えると、静脈に太いチューブをつける手技を
してくれました。


病院にいる父は、看護婦さんとかお医者さんとか、
家より全然パブリックな場所にいるので、緊張もあってか
心なし元気な様子。

やはり人間は他人との関わりとの緊張感によって
生かされているものなんだと実感しました。


そして、来年年明けにはホスピスのほうも検討しようかと。
家族としては、本人も周りも一年間良く頑張ってきたよねと。
父はずっと外交的な人格であったし、
やはり色んな人との交流を持ったまま迎えるほうが
心も幸せだし、何より遠慮なしに体の痛みを訴えられる
場所であるほうが、楽なのではないだろうかという考え。

在宅でと色々探し回って、話を聞いた後の決断。
果たして正解かどうかはわからないけれど、
また改めて相談してみようと思います。

年末の慌しさ

            • (父 口述にて)----------------------

いよいよ年末だ、
暮れの12月28日(金)に
今年最後の点滴(輸血とアルブミン)がある。
来年になっても抗がん剤治療は続くのだろうか。

いよいよ食物が喉を通らず、
食べては吐いての繰り返しが続く。

このままでいくと一体どうなるのだろうか
見通しは不透明だ。


            • (娘 補足です)----------------------

介護生活に本格的に突入したのが9月。
それから4ヶ月・・・
思い返してみれば、9月の時点では
食べれないといえども、まだ天丼が食べたいと
いう父を連れて外食が出来ていたなぁと
しみじみと思い出す。


がん患者の末期症状っていうものが
今の状態なのかはわからないけれど、
ある本には「眠っている時間が増え」とある。

最近は起きている時間より寝ている時間のほうが上まわる感じ。


自分の生活もあるから、気分を変えて・・・と思うが、
なかなか時間が取れないのも辛い。
こうなると、仕事を頑張っているから、
結婚しているからと介護を免除されている姉に
愚痴を吐きたくなりものだけれど、
彼女も後ろめたさを刺激されて、怒る。

この堂々巡り。


でもきっとこの時間は私にとって免罪符に
なるんじゃないだろうかと思っている。

親孝行ってやってもキリがないだろうし、
いまやっていることも、将来の自分の、心の平和のため。

誰を責めても、恨みつらみを言っても
事態は変わらないのであれば、
心穏やかに過ごせたら・・・と言い聞かせるこの頃です。

眠りの小五郎?!

          • (娘のつぶやき)----------------------

先日、通いのお医者様のところに、府立医大の先生から
紹介状らしきものが送られてきたとのこと。

現在の体力ではとても抗がん剤を打てないが、
本人の希望により…と書かれている欄に
一抹の疑問も持ちながら、とにかくこれからは
家で療養してもらうことがメインとなりそう。

昨日から眠り姫のように眠る時間が増えている父。
食事は相変わらず食べられないけれど、
なぜか餅だけは食べられる。

不思議。


先日”ためしてガッテン”という番組で
胃もたれの原因を特集していた中で、
胃もたれにも種類があって、

・胃酸が少なく、食べ物が残っている状態
・胃酸が多く、腸内に胃酸が流れ込むのを防ぐため、
 脳が胃の働きを自動的に止める状態


つまり、胃に何も入っていなくても、
腸に胃酸が流れ込むことで胃もたれって発生するらしい。

今の父の状態は、腸もただれているだろうし、
食べている量から比べて、吐く量があきらかに多い。

きっと食べたときに胃酸が腸に流れ込んで
危険を感じて吐き出していると思われ。
つまり腸にあるものまでも吐いている状態。

胃で消化することをあきらめて、とにかく胃の働きを止めて
腸に流れることを考えて、100回噛む!を目標にしました。
噛むことさえしんどがる父に口すっぱく言うのはつらいけど
頑張らなくては、栄養がまったく入っていかない。

とにかく流動食がおいしくないというので、
エンシュアなるものを如何に美味しくすることができるかが
私の最近の研究課題(?)です。

主にコーヒー味を好んでいるので、
この際インスタントコーヒーを少しお湯でとかしたものを
加えると、これまた結構嗜好が変わって飲めるもの。

今日はホットチョコレートに挑戦なんです☆

介護保険

            • (父 口述にて)-------------------

介護保険とは高齢者向きのものだと思っていたが、
自分自身も適用を受けることになりそうだ。
高齢者でなくとも、末期がんだと介護認定を受けることができるからだ。
本日、役所から調査員が来て、あれこれ聞いていった。

この先、ケアマネージャーさんにお願いして
世話をしてもらうことになるのだと思う。

但し、現実的には自分にとっては必要なサービスが
見当たらないように思う。

2Fへの階段に手すりをつけてもらうことが先決か。

            • (娘 補足です)-------------------

介護適用に当てはまる項目を読んでいって、
ほとんどが”YES”だったことで、
改めて、本当に病人に突入するんだなーっていうのが感想。

家族としては助けてもらえるのは本当にありがたいが、
父の元気な頃の生活を考えると、
人にお願いするっていうのは抵抗があるんじゃないかな。

お風呂とかに入らせてもらったりとか。

でも、100%を家族に委ねるって言うのは
家族も大変なもの。
ここはクールに助けをお願いするのが一つの方法なのではないだろうか
っていうのが、最近の家族会議の結果。

自分達が倒れてしまっては、元も子もない話。


手すりをつけてもらうのも、
1割負担で良いそうだし、
全自動のベットとかもレンタルできるそうで・・・。
でもできる限り自分達でできることは頑張ろう!

久しぶりの抗がん剤

        • (父 口述にて)-------------------

今日は、過去2回数値が低かったことと、
食べられないことで体力的に難しくスルーしてきた
化学療法の治療の治療薬投与(ドキタキセル)を注入した。

相変わらず栄養状態が悪いので
年内にもう一度アルブミン製剤と
血液製剤(輸血)の投与を受ける。

最後の最後まで点滴とのお付き合いだ。


ドキタキセルの副作用がちょっとわからない。
また吐きたくないものだ。

        • (娘 補足です)-------------------

抗がん剤を受けた後に、体調がぐっと悪くなるか、
平然としているかは、受けてみないとわからなくて、
今回は少し大丈夫そうだったので、ホッと安心。

でも、抗がん剤の副作用らしき弊害は、
一週間後ぐらいにどさっとやってくることが多かったので
(経験上)
まだまだ気が抜けない日々です。

が、まぁ、これから結構長く付き合っていかなければならない
病気でもあるので、家族が交代で気分転換を図る日々。

明日は、精神的にもちょっと限界になっている母を
温泉に行ってもらうことにした。

明日は私一人で介護することに。
ちょっぴり心配だけれど、母も一緒に倒れられると困るから
ここはしっかりと頑張ってみますとも☆


本日の腫瘍マーカー値 19,000

本日不調

        • (父 口述にて)-------------------

本日は、ぐっと不調。
朝から気持ちが悪く、昼のカレーうどん摂取時に嘔吐して
そのカレーうどんとアイスキャンディー等をもどしてしまった。
夜は食事時間が早かったせいもあり、マタマタ嘔吐。

ま、そういいながらも、
全てを吐いている訳でもないので
若干の栄養とカロリーは摂れていると思う。

        • (娘 補足です)-------------------

父は今、府立医大と町医者、それと通いのお医者さんと、
ホスピス外来と、合計4名のお医者さんにかかっています。

理由は、府立医大では抗がん剤の治療を優先されるため、
毎日の生活が少しでも快適になれるための情報が
なかなか得られなく、また低栄養状態でふらふらしてても
きめ細かな処置が思うように得られないからなんです。
(点滴とか。)

かといって、府立医大を責めているわけでもなく、
フォローする部分は、他のお医者さんにお願いしようと、
ずっとかかっていた町のお医者さんに相談。


その結果、府立医大では積極的な治療を。
体力を戻すためなどのフォローを町のお医者さん。
緊急のときのために、通いのお医者さん、
そして治療方針など、今後を知るためのホスピス外来。

なってみて思うことは、
自分から積極的に動かないと、情報は得られないし、
きちんと主張することで、どうするべきかのヒントが
得られるのではないかと。

先日、通いのお医者さんに具体的なアドバイスを貰ったのですが、
末期がんの場合、介護福祉の制度が活用できるそうで、
一度相談に行ってみましょうという話。


お医者さんを増やすことは、振り回されない知識を
きちんと持って対応することが大切で、
お医者さんによって言うことが違うのも事実。
まぁここらへんは臨機応変にっていうのが本当かも。

正直、ずっと看病している母が精神的に疲れてて、
父にきつい言葉を発し始めている。
誰かが気づいてフォローしなくちゃいけないし、
気分転換を積極的に図らなくてはいけないなって
本気で思う。

58歳男 重度胃がん闘病記、はじめます

      • (父 口述にて)----------------------

今年1月(2007年1月)
ステージⅣ重度胃がんと診断され、入院。

既に手術できる状態にはなく、
抗がん剤治療を実施中。

約一年。

現在は、抗がん剤副作用と原発胃がんに苦闘中。


今年一月の診断では、
「一年は大丈夫だが、2〜3年は難しい」と宣告されている。

病人は退屈だ。
殆ど一日寝ているのだから。

足腰も弱る一方。
それに排泄コントロールが半分しかできないので、
精神的に参ってしまう。

食べると胃と大腸が直結しているのか、
すぐに出てしまう。

今日なんか、便座に座ってりんごを食べた。
とにかく先に、先にトイレに行っておくのだが、
それでも間に合わないことがしばしば。

夜中も3回ぐらいトイレに駆け込む。
排泄を自制できないのが一番辛い。


      • (娘 補足です)----------------------

今日からこのブログをはじめます。
理由は、自分がガン家族になったとき、
インターネットで情報収集をしたのですが、
まともな情報が本当に少なかったこと。

何を”まとも”というのかさえもわからない
霧に包まれたような不安感。
もっとリアルな情報が欲しい!

その想いと、今の父の頑張りを無駄にしないためにも
このブログを開設してみました。

父にもこの情報発信が少しでも人の役に立つ
”生きがい”となるように、
父が話し、母が書き取り、娘がブログにする
そんな生活をスタートさせてみようと思います。

まだまだ霧の中にいる状態には変わりませんが、
少しでも希望をもって。